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用語解説集

女装

女装(じょそう)とは、それぞれの文化によって「女性用」と規定されている衣服・装飾品を男性が身につけ、これによって外見の衣装上は女性の姿になることを云います。
男性の異性装であるといえます。

女装は、世界的に見て、歴史時代の記録からは、いずれの文化や社会においても存在しました。なぜ女装するのかの理由は様々であっても、女装が存在したことは事実であります。

例えば、古代ギリシアにおいては、英雄・アキレウスはトロイア戦争に参加すれば必ず戦死するとの予言があった為、アキレウスが戦争に加わるのを防ぐため、彼を女装させて娘たちのなかに置き、隠蔽しようとしたとする挿話がギリシア神話で伝えられています。また古代ローマでも、『サテュリコン』などが伝える性風俗として、少年が女装して売春を行っていたことなどが記されています。

古代エジプトやオリエントには宦官制度が存在し、男性の衣装とは異なる特別な服装で、女装に近い姿でした。中国にもまた歴史のほぼ全時期を通じて宦官が存在し、女装に近い独特な衣装であったようです。中国では、古代より女装した若い男性や青少年の売春が盛んで、纏足が女性の一般な風俗であった清朝の時代にあっても、巧妙な偽装によって纏足しているかのような外見を作り、女装する男性が多数に昇ったことが記録に残っています。
日本における歴史
日本において女装というものが、いつ頃から始まったのかは分かっていません。縄文時代、弥生時代では、男女の衣服があまり明確な区別を持たず、女装の定義を現代から窺い知ることは困難です。
但し、記紀においては倭健命が女装をして熊襲を撃つ場面が記述されていることから、日本においても女装の起源はかなり古い時期に遡ると推測されています。

他にも、骨皮道賢が敵の目を欺くために女装して逃げ出したという話が残っていますし、源義経と弁慶の五条大橋での出会いでは、義経は最初女装していたとも言われています。

平安時代には、女人禁制の寺院で僧侶が稚児と呼ばれていた少年を女装させて女性の代わりとする、といったことが日常的に行われるようになり、以降の男色・衆道といった同性愛文化の原点となりました。また、江戸時代には歌舞伎の女形などの女装少年が、体を売る陰間茶屋が武家などの上流階級だけでなく、庶民階級の間でも流行したりするなど女装は男色・衆道文化の重要な要素のひとつとなっていきました。
男装と女装の非対称性
生物的な基本原型としては、人間の種は、男性と女性の2つの生物性が基本となっています。また社会的・文化的な性(ジェンダー)においても、男性ジェンダーと女性ジェンダーが基本的な2つのジェンダーです。

このような生物的性とジェンダー性の二極性からすると、男装と女装は対称的なものと形式的には考えられますが、実際に歴史的社会的に現象している男装と女装は、社会や個々人の評価や価値観においても対称とは呼べません。 多くの文化・社会にあって、女性の男装は、男性の女装に較べ、あまり問題とされないことがあり、また男装への女性の関わりと、女装への男性の関わりを見ると、後者の方が文化的に複雑であり、女装者自身の心理においても複雑な様相を持っているといえます。

数的に見れば、1993年のアメリカでの大規模な調査では、男性の6%が女装の経験があり、女性の3%が男装の経験があると答えています。この調査からは、女装者が男装者の二倍存在することが分かると共に、異性装経験者が平均すると、男女で20人に1人存在すると云うことも分かります。
ジェンダーと女装
生物的な「性」とは別に、文化的・社会的な性とも言える「ジェンダー」概念が導入されることで、女装という現象の意味について、宗教や社会類型に基づく規範とは別の判断基準が生まれたとも言えます。

生物として人間を見ると、女性の方が男性よりも丈夫にできています。人類の基本形は女性であり、女性の生理器官や身体構造に変容や追加、単純化を行ったのが男性の身体だとも言えるでしょう。短期的な激しい活動に適するように男性の身体は設計されているとも言えます。

それに対し、女性の身体基盤は、微妙なバランスの上に成立しており、短期的な激しい活動には向かないが、持続的な生物としての生存活動にはより適した構造となっています。このことは、女性の平均寿命が男性よりも高いことが通常の社会で起こることよりも確認されます。
男性としての困難または性の多様性
男性は、強く、自主的で、自己主張し、能動的に振る舞うことが求められますが、これらの「強さ」「自己主張性」「能動性」などは、個人個人に程度に差があり、能動的に振る舞うことが自然な男性がいる他方、むしろ受動的で、強さではなく、弱さ、あるいは感性の繊細さを自分にとって本質的に重要と感じる男性も多数存在します。

このような背景にあって、パーソナリティの指向性、あるいは個人の好み、休息を求める指向、あるいは多面性を維持したいとの方向性、更に性的な嗜好や、精神障害に及ぶまでの非常に広い範囲で、男性自身における「男性であることの困難と矛盾」の問題が生じています。

これらはより詳細に説明する必要がありますが、大まかには次のように述べることができます。
  1. 男性として要求されるパーソナリティ像に順応することに疲労を感じる者が存在する。女装することが、このような人には、心の休息ともなる。

  2. 男性として振る舞うことに疲労を感じることもあれば、ない場合もあるが、自分の存在はより広がりがあると思い、その広がりのなかで、女性的な性質も自分の個性だと感じる者。このような人も女装することがある。

  3. ジェンダー・ロール(性役割)は、それぞれの社会によってある範囲に決まっているが、このようなジェンダー規定に対し、違和感を覚える者が存在する。このような人はむしろ、女装することで本来の自分であるという感覚を得ることがある。

  4. 先の 3 の例は、「ジェンダー違和感」の例であるが、ジェンダー違和感または性別不快症候群(性別違和症候群)がより強いものとなり、精神の安定を崩すほどのものとなった場合、女装することが本来的自己の回復となる人がいる。

  5. 2 と 3 と関連を有する場合とない場合があるが、心理的な固執が強くなり、精神障害的な様相に近づくか、または精神疾患の域にまで達した場合は、DSM では、これを性的フェティシズムの服装倒錯(transvestism)とする。トランスジェンダーやトランスヴェスティズムが精神障害に分類されることには異論が存在するが、現在の DSM では障害となる。

  6. トランスジェンダーの範疇とは別に、「性の多様性」のアピールの為に女装を強調する同性愛者の男性がいる。これはドラァグ・クイーンがその典型とも考えられる。
一般に、上記の 2 と 3 の場合はトランスジェンダーに入れて良く、4の場合は「トランスセクシュアル」に入れるようです。トランスジェンダーの場合は、性の多様な可能性を求める傾向があり、男性であるか女性であるかという択一問題ではないのが特徴だとも言えます。トランスセクシュアルの場合は、生物的な性別を(性別適合手術(SRS)などを通じて)転換することを望むことが多いです。
性的興奮と女装
女装によって性的興奮や性的快感が齎されることがあります。女性の衣類や装身具などを身にすることで性的興奮が起こる場合は、女装と言うより、衣類・装身具への性的フェティシズムと言うのが近いでしょう。なぜ性的興奮が生じるのかは、様々な性的嗜好が存在することから見ても分かるように、個人ごとで事情が異なります。

一方、フェティシズムとは別に、男性であることの重責からの解放という意味での女装や、ジェンダーの多様性を自覚するが故に女装を選ぶ場合も性的興奮は生じます。これらはまた様々な個人的な事情があると言えます。例えば、男性の衣類の状態では十全な自己に対する自信や確信が持てないのに対し、女装することでより本来的な自己が確立されたとの感覚や、心理的な安定から性欲の自然的な発動が生じる場合もあります。

意識的には自己が男性であると疑いなく確信を持つ人の場合も、女装によって、エキゾティックな感覚が生まれそこから性的興奮が導かれるという場合もあります。
文化としての女装
衣装のファッションは、起源的に多様であるといえます。性愛においても、同性愛や少年愛、少女愛が社会のある階層の人々のあいだでステイタスの条件として流行したことがあるようです。
早婚の意味の少女愛は、ファッションというより、実際的な必要性から生じた習慣とも言えますが、日本の平安盛期における『源氏物語』が伝えている光源氏の少女愛趣味は、これは一つのファッションであった可能性があります。

少年、青年、また成人男性が、強靱な精神と肉体を持ち、荒々しい言動や挙措であることが尚ばれる社会や時代が存在しますが、他方で、女性的な男子が社会的に理想とされるような社会や時代の文化も存在しています(日本の平安時代の貴族は、女性的であることが理想でもあった)。また奇異な行動や服装がもてはやされる時代もあって、女装やそれに類した行動様式が美しいとか望ましいとか考えられる文化のファッションも当然存在します。

ここから「ファッションとしての女装」というものがまた考えられるでしょう。1960年代から70年代にかけて、フラワームーヴメントが欧米にはあったが、男性が女性的な身なりをすることが流行しました。グラムロックやパンクファッションなどでも、男性が派手な衣装をし、ルージュを付けるなどです。これはヴィジュアル系と呼ばれるファッションにも通じているといえます。またメンズ・スカートなども、ファッションとしての女装の面が強い可能性があります。
代替役割としての女装
父権制社会が強固な原則を維持する場合、すべての指導的な役割は男性がこなすことになります。文化の次元でも同様な男性優位と男性独占が生じる場合、「女性の役割」を男性が演じねばならない事態が生まれることがあります。 日本の歌舞伎が代表的ですが、政治的・社会的な理由から、遊蕩の演芸の芸人に女性は介入してはならないという原則が立てられると、女性役は誰が演じるのかという問題が起こりました。ここから日本では、女形(おやま)という女性役を専門に演じる俳優が生まれたのです。女形は当然ながら女装して舞台に立つのですが、単に服装や装身具の問題だけではなく、言葉遣い・挙措において、「女性らしさ」が求められることになっていったのです。 イギリスの劇作家であり近代英語の確立者であるウィリアム・シェイクスピアの作品に登場する女性役は、女装した美少年が演じたともされています。シェイクスピアの劇作品のなかには、女性が男装して、そのことから生じる人間違いを主題とした喜劇があり、異性装の持つ意味をシェイクスピアは洞察していたとも言えるでしょう(ローレンス・オリヴィエ卿は言うまでもなく、男性でシェイクスピア劇の俳優ですが、彼の最初の出演では、女装して女性役を務めたことが知られる)。
現代における女装
世界的に見るとき、アブラハムの宗教の影響下にある社会は、女装を公的には否定する傾向があるようです。しかし、同性愛や少年愛がそうであるように、公的に否定されていますが、文化的には他の社会同様に、このような慣習や行動が存在したということは事実です。 20世紀より21世紀にかけては、ドラァグ・クイーンがもっとも目立ちますが、女装者は多数の人口に昇りました。イスラム社会はなお否定的であるようですが、欧米とそれに関連するキリスト教社会では、「性の多様性」の運動の進展と共にカミングアウトも増大し、女装に対する抵抗もなお存在しますが、女装者の可視性は高まってきています。
日本
1979年に東京都の神田に開店した5階建てのビルである女装クラブ兼販売店の「エリザベス」は、従来このような店舗が存在しなかったことから画期的でありました。エリザベスは、女装専門誌『くいーん』を発刊すると共に、通信販売を通じて、男性が着用できるサイズの女性衣類を販売し始めました。ただ、女装衣類専門ということから、品数に限度があり価格も相対的に高価であったようです。

2007年頃から、『学校へ行こう!MAX』や『お試しかっ!』などに代表されるテレビ番組でも男性芸能人や一般素人の男性が女装するという企画を頻繁に放送するようになり、女装スナック、女装バーのみならず、女装した男性によるメイド喫茶も登場するようになりました。女装のためのルームサロンも次々とオープン(主に関西が中心)しており、女装イベントも開催されているようです。

このような女装をする男性=女装者のことを女装子、あるいは女装娘(共にじょそこ、じょそうっこ)と呼称する場合があります。また、近年では、漫画やアニメなどのキャラ付けに使われる男の娘(おとこのこ)が、女装者に対してあてられることもあります。
異性装と性的指向
女装と性的指向は基本的に関係を持ちません。女装者であることは、同性愛あるいは異性愛であることとは別の次元のことであるといえます。女装は、宗教や文化に関係し、またもっとも一般には性役割と性自認に関係します。ジェンダーの多様性とその次元は、性的指向の次元とは独立しているというか、直交関係にあります。つまり、同性愛者であるという理由で女装をするとは限らず、女装しないとも限らないのです。

大半の男性同性愛者は女装しません。性自認が女性の同性愛者は女装します。この場合、当人は女装しているのではなく、本来の自分のジェンダーに合致した服装との認識を持っています。
性自認は多様であり、トランスジェンダーの人の性自認は、非常に複雑で個性的な場合があります。生物的な性別が男性の人が女性の衣装をまとうのを女装とすれば、トランスジェンダーの男性は女装していることになるが、当人の意識では、女装も男装も選択できる服装のありようで、特に女装しているという意識がないこともあるのです。例えば、性同一性障害を抱える生物学的男性の人の場合でも、その身体的な性別だけを見た単純な視点では一見「女装」のように見えますが、本人はあくまで「自分の性別に沿った服装」をしていることになります。
女装表現の魅惑と萌え
これらについては、メディアにおける「登場人物設定のガジェット」というべき類に入るとも考えられますが、作品の主題ではないことが明らかであるにもかかわらず敢えて「女装」の状況を作品に挿入する理由がまた別にあります。

このようなメディアの読者・消費者が、女装や性転換、ふたなりなどに対し魅惑を抱いている可能性が高いでしょう。21世紀の魔術的観念論ともいえますが、ジェンダーの像は時代や社会と共に変動しており、20世紀後半以降となると、固定的なジェンダーイメージに対する疑問が提示され、性の多様性はすなわち「ジェンダーの多様性」であり、性役割や性自認に関してより柔軟で可能性の高いイメージが潜在的に求められているといえます。

自己の存在のありように対し、より高い自由度を求めると共に、時代や周囲の文化の流行が一つの規範ともなっています。男性か女性かのジェンダー・アイデンティティは誕生後24月程度の時期に確立されるとされますが、性役割の認識と学習はそれよりも時間が必要であり、両親が子供をどのように扱うか、幼稚園・学校の教師の影響、更に同級生や同じ年代の子供のジェンダー概念が大きく影響することになるでしょう。
加えて、子供の周囲に存在する多様なメディアのメッセージがこれに関係します。子供自身は「自己の性別は生涯変更することができない」ことを学習するのは一般にプレ思春期に入ってからでしょう(かなりの確率で出現する半陰陽の人の性自認の問題はここでは別に致します)

日本では、10〜20代の青少年のあいだで性的自己同一性が拡散しているとの文献的報告による裏付けはありませんが、メディアが提供する仮想世界の状況では、男女の性転換が容易に可能であり、性役割の移行が表現され、両性具有性が実現されています。消費者は「女装」表現に魅惑を覚え、これを「萌え」とも称している事実があります。やおい(主に女性読者のために創作された、男性同性愛を題材にした漫画など)において男性キャラクター間の同性愛関係設定に魅惑があったように、男性登場人物に「女装設定」を行うことが、読者には魅惑要素となっているのである。

読者主体にとって、自己の性自認や「ジェンダーの多様性」の要請が、このような魅惑(萌え)となっているのか、このような魅惑が「流行規範」として個々の消費者を規制しているのか、現状では不明です。

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