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用語解説集

マゾヒズム

マゾヒズム(英語:Masochism)とは、肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、そのような状況に自分が立たされることを想像することで性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプです。
被虐性欲(ひぎゃくせいよく)とも呼ばれます。極端な場合や世界保健機関のICDにおいては、精神疾患とも見なされ、この場合は性的倒錯(パラフィリア)となる。

しかしながら近年デンマークにおいてはマゾヒストの人権に配慮してマゾヒズムは精神疾患とはみなされなくなったようです。
ジル・ドゥルーズの批判にもかかわらず、ICDにおいてはサディズムとマゾヒズムは相関関係にあるという考えを背景にして両者は今なお「サドマゾヒズム(F 65.5)」という疾患名に包括されています。

なお、マゾヒズムという発音・表記はドイツ語と英語の混淆したものと推測されており、発音は英語ではマソキズム、ドイツ語(Masochismus)ではマゾヒスムスに近いです。
『毛皮を着たヴィーナス』(Venus im Pelz)など自伝的な作品で、身体的精神的苦痛を性的快楽と捉える嗜好を表現したオーストリアの作家ザッヘル=マゾッホの名前に由来してこう呼ばれています。1886年に著書「性の心理学」でマゾヒズムの概念を提唱したのは、クラフト=エビングでありました(当時、マゾッホは存命でした)。

性的な倒錯として定義されましたが、後に被虐的な傾向一般をマゾヒズム(Masochism)と言うようになり、性的嗜好のマゾヒズムは、「性的マゾヒズム(Sexual Masochism)」とも言い分けて区別することがあります。

マゾヒズムの嗜好を持つ人を「マゾヒスト」と呼びますが、俗語で「マゾ」と呼ばれていたりしますが、(用例「マゾ女」など)単に「マゾ」と略すと、マゾヒストとマゾヒズムの両方の意味を持ちます。
被虐性淫乱症とも呼びますが、これは変態性欲の通俗概念などと同様、多分に差別的な呼称であるといえます。

ひとりの人間がサディズムとマゾヒズムを合わせ持っている場合はサドマゾヒストと言われ、略してサドマゾとも言われています。
マゾヒズムとは何か
人間が社会生活を行なっていれば様々な理不尽と思える状況に直面することがありますが、そういったときに「自分が我慢すればよい」と不当な圧力や要求に耐える人が存在します。
また「囚われのお姫様」や「苦難を乗り越え進む英雄」と言ったヒロイックな状況は、苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られるといえます。そのため、どのような人間でも被虐嗜好的要素を持ち合わせているという説はかなりの人々に当てはまるでしょう。
こうした自己犠牲や苦痛や逆境への親和が、実は、性的嗜好としてのマゾヒズムの基盤にあります。

理不尽に他人から暴力を振るわれて、それでも「自分が悪かった」「自分が我慢すればいい」と考えるのは防衛機制ですが、マゾヒズムの心理には、このような機制が存在すると言うべきであります。
また自罰的傾向のある人は、他者から与えられる身体的精神的な加虐によって、かえって心の安定が得られることがあり、ここでもマゾヒズムへの趨向が見出されるのです。

マゾヒズムはこのように、個人の自我の心理的な安定機制と深く関係しています。
これに対し、他者から苦痛や加虐を与えられて単に喜ぶだけの心理はマゾヒズムではないとする考えがありますが、性的な状況においてこのような機制が働けば、性的快感や性的興奮に繋がるのであって、それは即ち性的マゾヒズムであり、自虐的な心理傾向を、性的嗜好としてのマゾヒズムと区別する方が寧ろおかしいといえます。
このような区別の背景には、マゾヒズムを先天的な気質あるいは人格の基底的趨向とする見方がありますが、この考えは実証されておりません。

マゾヒズムのなかには、先天的な素因が想定できるものがありますが、「マゾヒズム」という単一の心理趨向があるという根拠がそもそも存在しないのです。性的嗜好は、嗜好の現象的様態による分類把握であって、マゾヒズムのような心理機制がどのように成立しているのか、複数の機構が想定でき、更にそれ以上の多数の未知の要因が関係していると言うべきでしょう。
ある種類のマゾヒズムは精神障害として、性的倒錯に規定されています。これにより差別性が生まれる事がありますが、世間一般ではマゾヒストは変態だとか異常だとかいう偏見も存在します。しかしながら、性的嗜好における異常とか正常という問題は非常に難しいのです。
SMについて
マゾヒストがその性的嗜好を満たそうとするとき、必ずしもパートナーとして、サディズムの人を選ぶ必要はないと考えます。人間関係の一環としての性的な交際においては、程度にもよりますが、ソフトな水準のマゾヒズム嗜好を、相手がサディスティックな行為によって満たすことはそれほど不可能なことではありません。また、相手にサディズムの性的嗜好がある場合は、ある意味で理想的なカップルだとも言えるでしょう。

しかし、マゾヒストやサディストという単純な区分は、微妙な個々人の性的嗜好のありようを表現できないのであり、失神するまで鞭で打つ、棒で殴るなどの加虐を受けて満足するマゾヒストもいれば、それは暴行、虐待に過ぎないと感じるマゾヒストもいるでしょう。
相手との人間関係を配慮し、互いの嗜好についてある程度の妥協が行われる場合、そして両者のあいだの行為において満足が得られているのなら「SM」という概念が成立するといえます。

サディズムにしろマゾヒズムにしろ、個人ごとで求める性的嗜好の内実の質は異なるのだという認識が重要です。これを無視して「サド男」や「マゾ女」など、先入観に基づく勝手な条件を相手に求めるとき、そんな好都合な条件に合う相手は極めて少ない、あるいはそもそも存在しないということを知ることになります。

売春などで、マゾヒズム(あるいはサディズム)を売りにしている相手との行為などの場合は、相手が金銭と交換に「好都合な条件」を満たしてくれているのであって、このような形でも「SM」が成立するのです。(心から満足できているかという問題は別にして、関係性だけで言えばということです)

マゾヒズムである人間が同時にサディズムであるケースがあり、同じことであるが逆の場合もあります。このような場合、「サドマゾヒズム」と呼びます。
マゾヒズムの人間やサディズムの人間は必ずサドマゾヒズムなのかというと、一概には言えませんが、「サディズムとマゾヒズムは表裏一体である」という主張が古来よりあります。

「サディズム」の語源となったマルキ・ド・サドと「マゾヒズム」の語源となったザッヘル・マゾッホが両者共にサドマゾヒズム(サドは元来マゾヒズム的な嗜好を持っており、マゾッホは結婚した際、SMプレイで妻にM役を命じた)であったのです。
また、ドイツの社会心理学、精神分析学者であるエーリヒ・フロムは、著書「自由からの逃走」において、サディズムとマゾヒズムは本質的な部分において完全に同質な存在であり、自己実現をあきらめた人間が、他人に対して病的に従属しようとし、相手に対して歪んだ依存心を抱いてしまうとその結果発生するものであるとしています。
快楽
縄で吊るされる、鞭で打たれる、といったハードなSM行為はかなりの疲労と興奮をもたらします。
そのため脳内麻薬物質の分泌が盛んになり、いわゆる「ハイ」な状態が起こるのですが、それがマゾヒストの快感の源だとする説があります。また、一方では行為がなくとも状況を想像するだけで陶酔があり、快感が得られるという人も存在します。

BDSM 一般に言えることですが、マゾヒズムにおいてもサディズムにおいても、心理的な補償や、カタルシスの効果が背景に多く存在します。
発達課程におけるインプリンティングや学習、文化的・社会的な自己の存在主張(現存在の意味充足)などの実存的なプロセスもあり、人間における自由と束縛をめぐる心理複合の所産とも言えます。
マゾヒズムの場合は、とりわけ複雑な現存在のありようが背景にあると考えられます。

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